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 今日で震災から21ヶ月になります。長文ですがお許し下さい。上の一文は、大震災の津波で、児童・教職員84人が犠牲となった石巻市立大川小学校の遺族が今年8月26日の説明会で発表した声明の一部です。

 文科省は先月3日「検証は設置者の地方自治体が主体となるべき」との従来の姿勢を翻し、第三者検証委員会設置について話し合いの場を設けました。20か月近い時間の経過を経て国が漸く腰を上げたということになります。
 また時を同じくして池上正樹氏・加藤順子氏によるルポルタージュ「あのとき、大川小学校で何が起きたのか」(青志社)が上梓されました。
「空白の51分」の検証、残された証言の謎。唯一生き残り、しかし表舞台から消えてしまった教諭の存在、破棄された聞き取りメモ、進まぬ事実解明。なぜここに至り国が動かざるを得ない事態となったか、その理由は300ページを越えるお二人の地道な取材により微に入り細にわたり解き明かされています。
 その内容について是非を問うだけの知識は私にはありませんし、真実がまだ明らかでないいま、その判断が出来る時期であるとも思いません。
 ですが本文中のご遺族の皆様や生存者の証言を読んでいると「全く終わっていないし、終わらせてはいけないのだ」との著者の思いが強烈に迫ってきますし、悲しみを乗り越え「将来の犠牲を防ぐために後世に伝えなくては」というご遺族の強固な意志を感じます。

 大川小を訪れることがおありでしたら、どなたでも慰霊碑の前で手を合わせることでしょう。その時には是非、周囲に拡がる湿地帯にはかつて釜谷地区の家並みがずっと向こうまで続き、平穏な暮らしがあったことに思いを馳せてみて下さい。そして将来に禍根を残さぬよう、懸命に前に進んでいる人々の存在に目を向けて頂ければと思います。
 そういう思いを絶やさぬことが、新たな犠牲を生まないための大事なプロセスになると信じています。

http://diamond.jp/category/s-okawasyo

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