警察庁によると9月11日現在、震災による死亡者は15,870人。DNA鑑定や、検死業務にあたった関係者の身を削る努力で99%の身元が確認されたが、依然として192人のご遺体は個人が特定されないまま。
届け出のあった行方不明者は6県で合計2814人。毎月11日には当局による集中捜索が行われるが、時間の経過に伴い発見は困難となっている。
18,684人の全ては、その時から止まっている。
一方、復興庁によると、長引く避難生活による体調の悪化などで亡くなったいわゆる「震災関連死」はことし3月末の時点で、1都9県で少なくとも 1632人。
もちろん氷山の一角だろう。
8月に訪問させて頂いた「公立南三陸診療所」の一室には、文字盤に砂が入り込んだ大きな壁かけ時計がある。今は解体され跡形もない志津川病院で使われていたものだ。
パイプ椅子に無造作におかれた時計の文字盤で、2本の針は19か月間止まったままでいる。
赤十字などの支援により診療所は建設されたが、プレハブであることには変わりなく入院は30km離れた他の病院の設備を借りている状況。スタッフは移動に多大な労力と時間を費やしているとのこと。病院再建の青写真はまだ固まらず、地域医療がしっかり再生したとは言い難い。
大学の2期先輩である斎藤政二口腔外科部長によれば、南三陸では今月に入り漸く瓦礫処理プラントが稼働したとのこと。
この町の37万トンの震災廃棄物のうち、54,600トンを2013年8月までに処理するという見通しが立ってきた。明るい兆しだが、まだまだ種々の問題が解決した訳ではない。
斎藤先生の「被災地の現状を、少しでも多くの方に観て頂きたい。それが一番の希望」という言葉は、記憶・関心の風化の凄まじさを物語っている。
一人でも多くの方が今日、あの時のことを想って下さるようにと願います。