「急坂を登った山間にあり、一番近いバス停まで1キロ近く歩く。55世帯のうち36世帯が一人暮らし、12人が介助を必要とする状態。公共交通機関はなく、市立病院までタクシーで往復すると料金は5,000円。20世帯は自家用車なし」
これは今年8月私が訪問した気仙沼市のある仮設住宅の交通アクセスの状況です。お話を伺った自治会長のTさんと元民生委員のOさんによると、高齢の入居者の対応や、アルコール依存が疑われる入居者へのケアなどに苦慮しているとのことでした。
一人暮らしのお年寄りは引きこもりがちになり、孤独死の心配もあります。防止には仮設(住宅)のコミュニティが機能する必要がありますが、なかなか上手くいかないようです。
仮設での生活が長引く中、TさんもOさんも自身が被災者。同じような境遇にある被災者が他の被災者を支援する、いわば「災・災支援」の状態が続き、支援する側もされる側も疲弊の色が濃くなっています。このような孤立気味の仮設は他にも多くあるとのこと。
仮設住宅から出て、恒久的な復興住宅に移れるのはいつになるのでしょうか。表は岩手日報の報道ですが、岩手県内で整備予定の災害公営住宅計5600戸のうち、10月末時点で地権者の内諾を得ているのが2630戸で半数以下、工事中はわずか5%、完成はゼロ。まだまだ建設には時間がかかりそうです。
またある地区の医療関係者は「仮設を出たら行くところのない高齢者は沢山いる」といいます。仮設を出るだけでも、ある程度の経済的裏付けは必要なのです。
ここから見えてくるのは、「震災で拡大した社会的格差は、復興が徐々に進む中で解消することなく『固定化』しつつある」ということです。
日本は今よりもっと窮屈な国になっていくのかなあと考えてしまいますが、皆様如何でしょうか。