松中さんは海外でも長年ボランティア活動をされていて、東北にも足繁く通われている方です。
松中 みどり
今日出会った人たちは私の心の中に、大きな大きな贈り物を下さいました。感謝の気持ちでいっぱいです。
1)私の自宅から、2時間近くかかるその大きな工場には、外国籍の方や、障害をもっている方が多く働いておられます。私にお声がかかったのは、中国の方のライティングクラスと、聴覚障害の方の基礎英語指導です。中国の人のクラスは、ビジネスイングリッシュの授業としては普通のもので、私でなくても指導できるでしょう。でも、聴覚障害のある方を指導するクラスは、これまで引き受ける人がいなかったそうで、ぜひやりたいと思いました。打ち合わせに行った私を、その人は、「授業の前にお顔を見て、挨拶したかったんです」と、人事担当の方と一緒に出迎えてくれました。 着替えたら大学生か、ひょっとしたら高校生にも見えるだろう若い人。私の唇を読んで、「ま・つ・な・か・み・ど・り・さ・ん」と一度で名前を言ってくれました。義母に教わった手話で、「頑張ろうね」って示したら、笑顔になってくれた彼と、来月から勉強できることは、本当に嬉しいです。
2)けっこう遠いその工場から、今度は大阪へ。4時開始の講演会にぎりぎりで間に合いました。山田直行さんの東日本大震災巡回写真展、今日が初日で、オープニング講演に4名の方がお話しされました。それぞれに、本当に真摯に活動されていて、お話しが聞けたことを光栄に思いました。特に、後半お話しされた歌う尼さん、「やなせなな」さんと、さきほど写真をアップした「希望の牧場」の吉沢正巳さん。今日、出会って下さってありがとう、と心から思いました。
☆やなせななさんは、僧侶で、シンガーソングライターで、今日も東北で支援活動をされてそのまま駆け付けられました。さすが、お坊さまで歌手、という美しい滑舌のよいお話しぶりに、どんどん引き込まれて、笑ったり泣いたりしました。彼女は、支援を、支“縁”と書かれます。縁をいただいた方に恩返ししていくのだと。彼女は、“負けない”って書かれたタオルプロジェクトをされています。 お手ふきより大きく、普通のタオルより小さいタオルは、首にも頭にも巻けない、まけない、負けないタオル!
同じタオルを握って、「こんなだじゃれ、しょうもないなあ」、ちょっとでもクスッとでも笑ってほしいって。私も笑ってしまいました。そして、ちょっと泣きました。このタオル、なんと5万5千枚も被災地で配られているんです。どうぞ、ななさんの歌をYoutubeで聞いて下さい。“負けないタオル”という歌もあります!
☆そして、吉沢正巳さん。初めて直接お会いし、生でその声を耳にして、本当に心が震えました。 原発から14キロの浪江町で酪農をされていた吉沢さん。原発事故の後、牛を見捨てて逃げることは出来なかったと話されました。『決死救命』と『団結』という文字を牧場に残したのです。“あの爆発音を二回聞きました。浪江町はもう人も住めない、帰ることもできない、まさにチェルノブイリです。そういう汚染地帯になってしまいました。たくさんの牛たちがエサもなく水もなく死んでしまいました。僕たちの人生をめちゃくしゃにしてしまいました。東京電力のせいです。国のせいです。ぼくたちの町は人も帰ることのできないチェルノブイリになってしまった。心が折れた農家の仲間5人が自らの命をたちました。この償いは、残りの生涯をかけて、東電と国に求めて行きます!” “警戒区域の家畜の多くが餓死し、放置されてミイラ化している。でも、餌をやり続けている僕の牧場では、今も300頭以上の牛が生きている。殺処分の決定を政府が下したのは、『生きたがれき』『被爆の生き証人』である家畜が目ざわりだからです。必死で生きてきた牛を、殺すことは僕になできない。その命を活かすことは出来ないのか?そこで、警戒地域の家畜を被ばくの研究や調査に活かしてほしいと訴えます。放射能によってどんなことが起きるのか、この牛たちは生き証人。命をかけて訴える証人です。殺すことは、この牛たちを目障りだと思う役人たちを喜ばすだけです。もう、これ以上の無意味な死には、耐えられません”
私に何が出来るか、一生懸命考えます。今夜も、明日も、明後日も・・・