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【月命日の定期便 32か月め 震災遺構はなにを目指すのか】

「地元の理解があって残す意味を感じるものは、何とかしなければ」
「そのまま保存することのインパクトに代わるものはない」

先月19日から22日にかけて岩手・宮城の沿岸被災地を視察した復興庁政務官・小泉進次郎氏が現地で発した言葉だ。

教訓を後世に語り継ぎ、少しでも将来の防災・減災に資するために保存を目指す「震災遺構」。それは震災を直接知らない部外者にとってはメッセージを発するモニュメントである。だがそれと同時に、震災で心身・経済、そして生活の全てに深傷を負った当事者の皆さんの記憶を否応なしに呼び覚まさせるものであり、場合によっては現在、そして将来の復興にも直接影響する存在でもある。「とにかく残せばよい」というほど単純なモノではない、と感じるのは私だけだろうか。

共徳丸

宮城・気仙沼の鹿折(ししおり)地区。市内の震災遺構としては恐らく最も有名だった大型漁船「第18共徳丸」(330トン)は津波によって停泊していた岸壁から内陸方向に750mも流され、2年半以上のあいだ幹線道路わきにその巨体をさらしてきた。
被災者の皆さんにとっても、またボランティア活動や被災地ツーリズムで現地を訪れる部外者にとっても被害の甚大さを象徴する存在だったが、先ごろ解体作業が終了し、その姿は人々の記憶の中でのみ残ることとなった。

その船はいわき市の企業が所有するものだったが、私企業である以上経済的側面を無視してことを進めることは出来ない。それでも1年以上の時間的余裕をもって自治体・住民に合意形成を求め、その上で解体に着手したのだからそれ以上何が出来たであろうか。

それに現実問題として「共徳丸」をあのまま保存したとしたら、この地区でこれから進められようとしている道路整備・かさ上げなどの復興事業の「妨げ」とまでは言わずとも、少なくない影響を及ぼしたであろう。

また市当局が保存を断念した大きな理由のひとつに、保存のための経費負担がある。保存にかかる費用は4億~10億円とみられ、国の支援は見込めない想定。そして遺構として残すからには将来にわたって十分な管理運営が必要で、その経済的負担は次世代以降に引き継がれることになるからだ。

もちろん「震災のことをどうしても思い出してしまう。早くなくなってほしい」という心情から解体を求める意見も多く寄せられている。
その一方で「保存」を切望する被災者の皆さんの声が少なくないのもまた事実。

「ここがなくなると、手を合わせる場所がなくなっちゃうんだよね」

鉄骨の骨組みのみを残す南三陸防災庁舎を見上げながら現地の知人はつぶやいて言った。「後世への教訓」というだけでなく「追悼のための墓標の役割」も遺構は担うだけになおさら保存への賛否は紛糾し、結論は出ない。南三陸町として解体を決定したなか、先の小泉政務官の発言や、村井宮城県知事が保存の可能性に言及するなど事態はますます複雑化しているようにみえる。

「遺構を保存する」ことはもちろんある面で意義深いことだ。だが他のやり方である程度同じ成果を上げることも出来るような気もする。

たとえば、震災の影響による閉館から今年4月3日に全館開館にこぎ着けたリアス・アーク美術館(気仙沼市)の新常設展示「東日本大震災の記録と津波の災害史」などはひとつの試みといえるだろう。

リアスアーク

郊外の丘陵地帯に「方舟(アーク)」のようにたゆたうこの美術館の常設展示は,震災発生直後から美術館の学芸員が取材してきた約3万点に及ぶ記録写真の一部と被災資料に解説を加え展示,さらに三陸沿岸部を中心とする津波災害について明治三陸大津波,昭和三陸大津波を主とした資料を展示しているものだ。
今ではすっかり撤去され見ることが出来ない、信じられない形に変形した鉄筋構造物や、津波が襲うほんの直前まで存在した「何気ない平凡な、しかし穏やかな日常」を偲ばせる生活用具などが展示される。
既存の建築を利用したことによる資源の有効利用とスピード感、そして被災地に密着した「目線の確かさ」を感じるのは私ならずともであろう。

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あるいは宮城県女川町の中学生が保護者や地域を巻き込んではじめた「いのちの石碑プロジェクト」も「千年先まで記録を残す」という意味では震災遺構と目的とするものは近いのではないだろうか。
町内にある全ての浜に津波が到達した地点よりも高い所に石碑を作り、それによって「千年先のいのちを守りたい」と動き始めた生徒たちの気持ちはやがて全国に協力者を得て、目標とする1000万円の募金は見事に達成されている。

人にはそれぞれの人生があるように「それぞれの震災」があるのは紛れもない事実だ。それは尊重されなければならないし、部外者には安易な批判も同調も難しい。

大川小

石巻市は今月8日、東日本大震災を後世にどう伝えていくかを考える震災伝承検討委員会を発足させると発表した。
27日に初会合を開き、震災を記録した写真や映像といった資料をどのように活用するかなどを話し合い、2014年度までに提言をまとめる予定とのこと。
津波に伴う火災で焼け焦げた市立門脇小校舎や民間の土蔵など、震災遺構の保存も話し合うが、児童・教職員計84人が犠牲となった市立大川小の校舎は「第三者の事故検証委員会に影響を及ぼす可能性がある」として、議論の対象から外すという。

大川小は、いまだに「遺構ですらない、問題が未解決の現場」なのである。「それぞれの震災」は終わりを知らぬかのようだ。

リアス・アーク美術館
http://www.riasark.com/html/tunami_saigaisi.html

いのちの石碑プロジェクト
http://www.inotinosekihi.com/

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