≪月命日の定期便 31か月め≫
【沿岸部のコミュニティは重大な岐路に】
「もう時間切れなのではないか」
そんな評価を下す人がいたとしても、その意見を覆せるだけの材料をあなたはお持ちだろうか?
岩手県は沿岸地区を離れ県外・内陸地区へ移動している被災者を対象に昨年度に引き続き2回目のアンケート調査を実施、先月26日その結果を公表した。移動の理由、今後の居住場所、情報ニーズ等を把握し、県・市町村が実施している被災者支援の充実を図るためだ。
調査結果によると、
・「元の市町村に戻りたい」の割合は、県外は36.5%(0.5%減)、内陸地区は33.8%(3.9%増)。
・「現在の居住地に定住したい」の割合は、県外は37.5%(3.6%増)、内陸地区は44.2%(10.7%増)。
・「まだ決めていない」の割合は、県外が21.9%(1.7%減)、内陸地区が16.2%(15.5%減)で、特に内陸地区で大きく減少。
このデータが語るのは、県内の内陸地区に避難していて、「いずれは元の市町村に戻ろう」と考えていた被災者の皆さんのうち、相当数の割合の方が「戻りたいのは山々だが、どうやら無理」と諦めたということだろう。
県外・内陸地区ともに「戻るメドが立たない理由」は共通している。
「復興やまちづくりに時間がかかる」
「震災前の市町村で住宅が確保出来ない」
「震災前の市町村の通院等の利便性が心配」
などで、いずれも「基本的な社会インフラ整備の立ち遅れ」が直接・間接の原因だ。これは個人レベルで左右出来るような問題とは思えない。
住宅建設の場所が「県内であれば助成金支給可」の岩手県では「内陸地区に既に住宅を再建・再建予定」が「現在の居住地に定住希望」の45.6%(20.6%増)にのぼる。県全体での人口減少はある程度避けられても、沿岸のコミュニティ復活への道のりは険しいということになる。
アンケートに寄せられた被災者の声からは、自力ではいかんともし難い「ジレンマ」が聞こえてくるようだ。
「復興の状況等が見えず、家族も高齢で震災後体調が悪いため、毎週病院通い。通院などの利便性を考えると心配で家族共に迷っている現状」
「沿岸に戻って暮らしたいが、希望する仕事が無く、住居も見つけるのが困難なので現在内陸市で暮らしている。沿岸で働き、暮らせる収入が希望だが思うようにならない」
「復興の兆しが見えないのでこれからどのように暮らしていったらよいか不安。戻りたくても戻れない。このままだと益々被災地域に住んでいた人達が戻らないままになってしまうと思う」
「自助努力が必要」という声があるのも理解できる。だがそれを踏まえた上で「政治に期待したい」というのはやはり幻想なのだろうか。
【被災地の医療・福祉環境は】
今月に入り厚労省から発表されたデータは、被災地の医療・福祉の現場から聞こえてくる声を裏付けるものだった。
震災後2年間(2011年5月末~13年5月末)の都道府県別の要介護・要支援認定者の増加率は1位が宮城で18.8%増、2位が福島で14.3%増。岩手は10位で12.0%増であった。いずれも全国平均(11.3%増)を上回る。
さらに沿岸部や原発周辺の42市町村に限定すると、岩手15.3%増、宮城21.6%増、福島22.9%増となる。自治体では、宮城県女川町が95.9%増、福島県富岡町が95.5%増、同県葛尾村が56.0%増という驚愕の数値だ。
震災後の11年5月末の要介護・要支援認定者数は、津波による死亡や転出で一時的に減少したが、その後、急増した。
宮城県長寿社会政策課は「避難生活の長期化で体調を崩したり、狭い仮設住宅暮らしで足腰が弱くなったりしている。地域包括ケアなど住民の見守り活動を強化しなければならない」と話すが、「宮城県での医療費自己負担減免措置の廃止が状況悪化に大きく影を落としている」との声も聞こえてきており、昨日(10月10日)告示された宮城県知事選の大きな争点のひとつとなった。
2012年4月出版の「日本歯科医師会からの提言 3.11の記録(大久保満男 / 大島伸一)」の中で神戸常盤短大教授・足立了平氏は「都市部に集中した医療機関、過疎化と同時に医療過疎化も進む郡部という構図は、長く続く低医療費政策と今回の震災によって一層拍車がかかるだろう」と述べているが、震災前から人口過疎・医療過疎であった三陸沿岸部の現状は、その予言が1年半余を経てまさに現実化してきた感が強い。
先日、被災地で支援活動に取り組む医療関係者の知人から便りを頂いた。
「あまり報道はされませんが、私が活動している地域でも自殺者が沢山出ています。仕事をしたくても見つからず、仮設住宅で悶々としているような方が多いです」
淡々と綴られた文面に危機感が募る。
あなたが「そんなこと言っても、自分には何もできない」と考えていらっしゃるとしたら、それは現状誤認と言わせて頂こう。次の週末、朝に新幹線に飛び乗れば、昼には津波の爪痕が残る岸辺に立てるのだから。