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「東日本大震災で発生した災害廃棄物については、町が設置した仮置場で受け入れを行ってきましたが、震災後2年以上が経過し、災害廃棄物の処理業務が今年度で終了することに伴い、8月末日をもって受け入れを終了しました」

つい先日、南三陸町の公式サイトにこの文が掲載された。年内に廃棄物処理が終了すれば、ひとつの小さな区切りを迎えると言ってもいいかも知れない。

高さ15mを超す津波に襲われ市街が壊滅し、800人以上の命が奪われた宮城県・南三陸町。高台の中学校から志津川湾を見渡すと、その手前、眼下には広大な空き地が拡がる。筆者が訪問した8月中旬、夏の盛りのこととて雑草が生い茂り、一面緑のカーペットを敷いたようだ。
月並みな表現で情けないが、「無常感・喪失感」を禁じ得ない。

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町の中心部だったところは復興計画に伴い建物の建設は禁止されているため、家屋は津波を免れたもの、震災後に再建したものを含め山際に張り付くように建っている。筆者の立つ土手の傍らにはつい最近、この同じ地点から俯瞰した被災前の志津川の街並みのパネルが設置された。目の前の風景とパネルを見比べてみても、なにか映画でも観ているようで現実味が湧かないほどのギャップだ。

「ここは沢山の人に観てもらいたいよね」

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大学の先輩である斎藤政二先生(公立南三陸診療所・歯科口腔外科部長)が国道398号線を見下ろしてつぶやく。

志津川中学の高台を下り、国道45号線を南下し398号線に入ると間もなく戸倉地区。クルマは右に折れ小高い丘に登ると、そこは宇津野高台だ。そこからさらに上を見上げると、五十鈴神社の赤い鳥居が見える。ここは去年も先生に案内してもらったところだ。

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「あれから記念碑が建ったんだよ」

赤い鳥居のたもと、「東日本大震災記念碑」と銘打たれた石碑の警句にしばし見入る。

「未来の人々へ 『地震があったら、この地よりも高いところに逃げること』」

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以後の碑文も主観を排し、事実を正確に、しかも淡々と述べる文章だ。犠牲になった方々を悼む気持ちを抑えつつ「後世にこの事実を確実に伝え、教訓とせねば」という心情がひしひしと伝わってくる。

高台から戸倉地区を望む。生い茂る夏草は生命力の豊かさを伝えるよりも、そこにかつてあり唐突に奪い去られた幾多の日常に思いを致す媒体として私たちの目に映る。

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切り立った土手の際には無数の樹脂製の球体が打ち棄てられている。定置網に使うブイ(浮き)である。もちろんここは資材置き場などではなく、志津川湾で行われていた定置網の一部が巨大津波により押し流されてきたのだ。

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ここの海抜は20m前後、津波を免れたのは鳥居より上のほんの僅かなエリア。そこにポツリと建つ小さな社殿で、間一髪避難した児童・園児が一夜を明かしたという。

高台を降り、先生に案内していただき町内をめぐる。海岸線沿いに南にクルマを走らせると、戸倉地区の外れに巨大なプラントがそびえていた。

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「ゼネコンの共同企(JV)が県の発注で立ち上げた処理プラントなんだ。廃棄物はある意味「財産」だから、基本的に町内でリサイクルして復興に使うようにする」

「南三陸災害廃棄物処理業務」のサイトで確認すると、処理を行う約29万t廃棄物のうち、廃棄物は100%宮城県内で処理し、大部分をリサイクルする予定とのこと。廃棄物の77.7%を処理施設及び南三陸町内(自区内)でリサイクル、21.1%を宮城県内でリサイクルし、最終処分場への搬入量は2%におさえるとのことだ。そして8月末での業務進捗率は85%。そして年度内に業務は終了する見込みである。

「リサイクルした資材は、これから始まる嵩上げなどに使われるんだよ」

斎藤先生が説明してくれる。部分的にでも復興が進捗している局面を感じられたことは一つの収穫だった。

クルマは大小の島が浮かぶ、風光明媚な志津川湾に沿って北上する。かつて公立志津川病院があった中心街に差しかかると、住宅地であったはずの区画に水が入り込んでいて池のようだ。

「70cm、地盤沈下してるからね」

斎藤先生の言葉はそれを悲観するというよりも、「受け入れ、前に進もう」とする気概ともとれる響きだ。

新病院

仮設の診療所に隣接した敷地に、新しい志津川病院が建設される。おおむね固まっている設計構想を聴かせていただいた後、私たちは再訪を約し志津川を後にした。

それからおよそ一カ月。斎藤先生がフェイスブックに「大潮冠水」の画像を上げていらした。上昇した潮位により街は水没し、陸と川、そして海との境界が茫洋として区別がつかない。まるでアドリア海に浮かぶベネツィアの大洪水「アクア・アルタ」のように。

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確実に進む廃棄物処理には復興の力強さもみた。だがそれは一局面でしかない。いったん大潮ともなれば陸と海の区別もつかなくなるのが現実だ。それを解消する嵩上げはこれからの課題。そしてそこに住む人々は震災の教訓を後世に伝えるべく様々なアクションを起こしている。

「未来」を見据えてはいるが、まだまだ「過去」が解決したわけではない。そういう状況を実感するにはやはり現地の土を踏んで、自分の五感を働かせるしかないと思う。一人でも多くの方が被災地入りして頂けることを願っている。

南三陸災害廃棄物処理業務
http://www.shimz.co.jp/construction/minami_sanriku/index.html

南三陸町病院建設基本計画(素案)
http://www.minamisanriku-hp.jp/soan.pdf

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